新宮市議会 2022-12-14 12月14日-03号
私は、学生時代の4年と社会人になっての3年、計7年だけ郷里を離れただけで、人生の大半を農業の現場で生かされてきました。 今年の和歌山県知事選挙において、農林水産業の振興に尽力すると力強く公約された岸本さんが当選されました。今こそ自然の宝庫である和歌山県にあって、新宮市においても農林水産業の振興に力を注ぐべきときが来たように、私には感じることができます。 田岡市長の見解を求めます。
私は、学生時代の4年と社会人になっての3年、計7年だけ郷里を離れただけで、人生の大半を農業の現場で生かされてきました。 今年の和歌山県知事選挙において、農林水産業の振興に尽力すると力強く公約された岸本さんが当選されました。今こそ自然の宝庫である和歌山県にあって、新宮市においても農林水産業の振興に力を注ぐべきときが来たように、私には感じることができます。 田岡市長の見解を求めます。
皆様御自身の学生時代を思い出していただければ、学校行事の学生時代の思い出としてのウエートの大きさが理解いただけるかと思います。それは今も変わりはなく、卒業式の送辞、答辞、入学式の歓迎の言葉などでも知ることができます。
これは私の学生時代の経験ですけれども、コーラス部の合唱練習の中では、グラウンドに出て間隔を空けてそれで歌う、ハーモニーを取るのが大変難しいんですけれども、反面とてもいい練習になったりします。 そんなのもありますので、いろんなやり方を取り入れてみたらいいのではないのかなと思います。 こういうときだからこそいろんな工夫を凝らして、子供たちの身になる指導をお願いいたします。これは要望です。
皆さんも、学生時代を過ごしたり、住んでいた場所がニュースになったり、テレビで風景が映ると懐かしさを感じる経験をした人は少なくないと思います。 本市を離れても、適度に地元との距離感のつながりを保ちつつ、本市の存在感を伝え続けることは、何となく地元に帰りたい、就職など地元にネガティブなイメージを持っている潜在層や消極層にも、本市で働こうと促す効果があると思います。
お亡くなりになってから各メディアが報道していますように、非常に、私、まだ自民党に入りたての雑巾がけの分際なんですけれども、地方の議員の私のようなものが生意気なことを言うんですけれども、やはり勤勉で非常に真面目な、そして志を高くずっと学生時代から持っておられて、ノートに将来は絶対日本の総理大臣になるんだというふうに書き続けて、勉強を繰り返して本を読んだと。
私も学生時代と社会人で7年間、陸上競技の長距離ランナー、ウオーカーとして競技に専念した経験を持っております。帰郷して家業に専念するようになり、陸上競技からはかなり遠のいておりますが、このような状況の中、最近になって気づかされたことがございます。 スポーツの基本は、走ることにあるように思います。走ることは、全ての競技の基本であると考えます。
私は、学生時代にサッカー部で汗を流した経験から、教員になってから時間や労を惜しまず、勤務校でサッカー部の指導をしてきました。机の上での勉強以外にも、体当たりで子供たちと触れ合うことにより、子供たちの性格や親子関係、地域での生活等々、数え切れないほどのきずなが結ばれました。
私自身も学生時代、教員になってからも、平日は練習時間が短く思うようにできないため、土曜日・日曜日・祝祭日は、練習や試合が最もできるときであると思い部活動を続けていました。その保護者も生徒の時は、そのような指導を受けてきたため、戸惑うのも無理からぬことではないと思いました。
私は、核兵器廃絶に、禁止条約、廃絶に向けての取り組みを学生時代から、核兵器の残虐性を知り、核兵器をなくすための学習を行ってまいりました。そして、新宮市民の皆さんに核兵器廃絶に向けての署名活動にも積極的に参加をしてきました。
学生時代、数え切れないぐらい松陰神社に参拝した私としましては、負けじと、「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。前回に引き続き、この質問をもって、しっかりとただす意味も含め、お聞きしたいと思います。 生意気な発言もあるかもしれませんし、長くなるかもしれません。どうかお許しをいただきたいと思います。 まず、福祉行政についてお聞きいたしたいと思います。
学生時代にスポーツをやっていませんでしたが、社会人になって、バレーボールやソフトボール、インディアカをやってきました。病気になって二度とスポーツはできないと思っていたのに、卓球ができることをうれしく思っています。 スポーツに対しては、今までとは全く違う、特別な思いを持つようになりました。病気になったからわかったこと、病気になったからできた友がいます。
私は、学生時代にサッカーをしていまして、今から25年から30年前になるのでしょうか。また、まだJリーグもなくて、サッカーのテレビ中継もほとんどなかった時代です。 今でこそ、日本代表の試合もライブで、それもゴールデンタイムで見られる時代になりましたが、当時は雑誌などでしか情報が得られませんでした。そして、その本物を見れることによって、現在の子供や学生たちの技術が格段に向上しています。
学生時代に1回も教えてもらったことがないと言うんです。教育というのはそんなもんです。だから、誤った教育もよくないかもしれませんけれども、こういう国を思う大事な気持ちということをやはり子供のころからしっかりと教育しなければいけないんではないかなということであります。
いずれにせよそういう状況であって、当時、私はまだ学生時代だったと思いますが、いわゆる場所の選定につきましても、実は神戸沖と泉南沖で綱引きをやっておりました。それで結果的に、やはり大都市に近いところより、ややちょっと外れたところの泉南沖になったというふうに聞いているんです。
先般、札幌から私の学生時代の友人、夫婦が一泊二日で新宮に遊びに来ておったんですけども、いろいろと案内させてもらいました。速玉大社、それで神宝館、佐藤春夫記念館、川原家、それで浮島の森、新宮城跡、阿須賀神社、徐福、徐福上陸の地、水野家の墓所、神倉山。彼の感想、全く深い歴史を感じるすばらしいまちだと。今度は子供たちも連れてきたいと。
私も、東京にいて学生時代を何年か過ごしたのでありますが、あの満員電車で本当に隣に女性が来ると、自分が両手を挙げまして電車に乗ったという思い出があるわけであります。ストーカー事件も数多くテレビでやって、痛ましい事件もたくさんあるわけであります。ストーカーといいますと、大きく幾つかに大別することができる。一つは、もちろん男女であります。
那智勝浦町との合併についてということで今回質問をさせていただきたいと思いますが、私、何事も、何のためということが一番大切であると学生時代に教わりましたんで、その意味で、今回のまず合併問題につきまして、何のためにやるんだということ、すなわちこの那智勝浦町の合併の目的について質問をさせていただきます。
○町長(後藤太栄) どういう立場でお答えしていいのか、浅学非才でございますけども、私が学生時代にいろんな調べましたら、かなり以前からあったもので、平成9年に建てかわった大塔が、あれは前の大塔のころからあって、その火災のときにも使ったというような記録があると承ったことがありますので、相当古い時代から、西塔のところのやつと蓮池と、防災上、三角池ってあったんではないかというふうに思います。
受け皿も何もなしに、市長はこの中に言うておりますが、お城云々とこういうことでありますが、お城もこの間登ったんですけれども、私が学生時代に、今から50年ほど前の学生時代に登ったのと同じような展示物があって、もう全く進んでおらない。ボタン植えたり何とかするとこういうことを言うておりますが、そうしたこと。これをもっと大々的にお城を生かすというふうなこともやっていただきたいなと、こう思うんです。
僕も熊野いうて何やったんやろと、学生時代に熊野について教けてもらってたいう認識はないんですよ。熊野とは何やと、聞かれても果たして熊野三山、熊野川、熊野古道そういうこと、信仰もありますけども、そういうことをいうんかなあと思っとるんですけども、その辺について、熊野とは何やと、聞かれたらどういうようなことなんでしょうかね。詳しい、今日は山本さんおらんの、ちょっとこれに詳しい方ちょっとおりませんかね。